俺以外に、キスしないで
タイトルに釣られてリンクを開いた阿呆の皆様、おはようございます。
タイトルはさておき、今回は『飽き性』について書き散らそうと思います。
27年間生きてきて続いたのは、ピアノと筋トレくらい。昔から飽き性だよねとよく言われており、それについて自分は
「なにやってもすぐに及第点レベルまで習得する俺、かっちょらえ〜!!!」
なんて思っていました。
あらゆることに手を出しまくり、80点をとってはやめてを繰り返し。なんて自分は才能に溢れているんだろうという恍惚感さえ持っていました。
しかしながら最近、気づいたことがあります。私が言われていた飽き性とは逃げ癖の裏返しだったということです。
80点をとったらそれなりにチヤホヤされ、そこそこに居心地は良いものです。ただ、ふと上を向くとチヤホヤなんてレベルではない、拍手喝采を浴びる圧倒的に優れた100点満点がいるのです。するとこのような葛藤が生まれます。
「80点から90点、さらに100点を目指せばもっとすごい奴になれる。けどそのためには時間もかかるし、失敗や挫折をして時間を無駄にしたり心が傷ついたりしてしまうかもしれない」
この思いは自分のメンタルを守るため、楽をするため、いずれこのように変貌を遂げます。
「時間をかけて100点を1つ取ることを目指さなくとも、80点を複数を持っていれば同じくらいすごいのではないか?」
世の中とはシビアなものです。ジャンプの漫画賞で優秀賞を何回か受賞して賞金を数万もらったヤツよりも、1回でも入選して本誌に掲載されたヤツの方が側から見たら間違いなくスゲーのです。
手放しで「すごい!」と呼べるのは100点のみで、80点を複数持っている器用貧乏は「すごいんだけどね!」という評価が関の山です。だからこそ器用”貧乏”と呼ばれているのでしょうが。
『飽き性』というふわっとしたサバサバでかっこ良さげな言葉、その本質は器用貧乏が己のメンタルを守りたいがために、100点と同じくらいすごいのだと思い込むための虚像なのです。
人は安きに流れるとはよく言ったもので、思い返せばサッカーで100点を取ることを諦めた小学生のあの時から、逃げ癖がついて永遠に80点を取り続ける悲しき器用貧乏モンスターに自分はなっていたのかも知れません。
誤解のないように述べておくと、器用貧乏なのは別に一般的には悪いことではないとは思います。
ただそれが自分の理想に対して是なのか非なのかというのが論点なのであり、私にとっては非だったのだと最近気づいたのです。
安きに流れるのは今日で終わりにし、生涯で初めて100点を目指そうと思います。
何で100点を目指すの?という疑問の答えは予約した人にだけ話します。
まとめると、とりま頑張るぜワッショイって写メ日記でした。
明日こそは千束の紹介写メ日記書きます。